どうしても、辿り着けない場所

あと少し、来週には執筆中の本を脱稿する予定です。

私のふるさと、福島県伊達市を舞台に、

子どもを被爆から守ってきた母たちの6年を追ったものです。

同時に、<除染先進都市>として国際舞台でも「評価」された、

その実態と裏側を暴くという意図もあります。

 

放射能が降り注ぎ、一変してしまったふるさとと向き合うという、

その重さに打ちひしがれるような思いで、

初めて原発事故後、阿武隈急行線「梁川駅」に降り立ったのは、

2011年8月のことでした。

あまりに変わりなく目の前にある晩夏の光景を、

あれほど残酷だと思ったことはありません。

悔しいのか、悲しいのか、涙がこぼれて仕方なかったのを覚えています。

 

ふるさとを書くーーそもそも大学進学で18歳で離れて以降、

「お客さん」でしかない私に何が書けるのか、何がわかるのか。

子どもとして育んでもらえたけれど、

大人として何一つ、「地域」に関わったことなどない自分が。

何度も自問自答し、躊躇しました。

小国小学校のプールの排水が流れる水路脇で、

84マイクロシーベルトの土を踏んでも、

私はその土を落として、新幹線に乗って帰れるわけです。

こんな私に、その土地で生きる人たちのことを書けるのか、

書く資格があるのかと。

 

不思議なことに、原発事故を思えば、

時に身体が軋み、胸がぎゅーっとわしづかみにされ、

いつの間にか涙が流れている、そんなことがよくありました。

もしかしたら多分、そこに、

私がふるさとを書く意味があるのかと思うのです。

 

こうして「取材」という形で、何度も伊達市に入りました。

「なんで実家ではなく、見ず知らずの保原町の、

ビジネスホテルなんかに泊まっているんだろう」

最初は身を切るほどの悲しみ、つらさがありましたが、

それも何度か重ねる中で「当たり前のこと」になり、

保原の夜飲みも、なかなかなものになりました。

 

私が育った場所は、伊達市の梁川町ですが、

それは3歳からのこと。

それまでは国見町の県北中学校の教員宿舎に住んでいたそうですが、

その長屋の記憶はありません。

 

私には何度、ふるさとを訪ねても辿り着けない場所があります。

記憶の断片をつなげても、どうやっても辿り着けない場所。

私の大事な、大好きだった場所。

共働きの両親が日中、乳飲み子の面倒を見れないため、

私は山の中の「目黒のばあちゃん」の家に預けられていました。

親戚ではなく、何のご縁だったかはわかりません。

茅葺屋根の古い家で、薪で沸かず五右衛門風呂。

トイレは道路を渡った沼のほとりにありました。

薄暗い、黒光りのする板張りの床を覚えています。

確か、囲炉裏もありました。

私はそこで、ばあちゃんとじいちゃんにとても大事にされました。

覚えているのは、朝ごはんを食べると家の裏山に行くこと。

草や木の実を眺めたり拾ったりしながら山のてっぺんまで行くと、

「しょうこさん、ごはんですよー」

ばあちゃんがお昼ごはんだと声をかけます。

お昼を食べると、その続き。

山のてっぺんまで行き、逆側を降りてくるとちょうど夕方。

毎日、毎日、それが楽しくてしょうがなく、

飽きることがありませんでした。

父と母が迎えに来ても、「嫌だ」と帰らなかったことも覚えています。

最近、確信したのですが、

私はきっと、ずっとこの家で育ったのだと思うのです。

母の手ではなく、目黒のばあちゃんに、

私は育ててもらったのだと。

保育園もない土地で、共働きの夫婦がどうやって、

乳飲み子を育てることができるでしょう。

社会的養護もまた、大事な私のテーマですが、

血のつながりは関係ないということを、

実はこの身で知っていたのだと知りました。

 

3歳で祖父が亡くなり、梁川の家に引っ越しして、

私は保育園というところにいきなり押し込められました。

ばあちゃん、じいちゃんとだけ暮らしていた私、

きっと訳がわからなかったのか、暴力的な野生児で、

園児を殴ったりするものだから

道具部屋の柱におんぶひもで後ろ手で縛られ、

みんなが歌を歌っているのを聞いてました。

みんなは3時ぐらいにお迎えがくるのに、

私は夕方まで一人、暗くなった広間で、

滑り台を滑って、父の迎えを待っていたのも覚えています。

木製の滑り台はロウが塗ってあって、つるつるだったことも。

 

あの目黒のばあちゃんの家、そして裏山、

家の前にあった沼、小川のせせらぎ、

古い大きな家ーーそこが、私が戻りたい場所。

住所も行き方もわからない。手がかりは国見町のいなかだけ。

何度も伊達市への往復を繰り返しながら、

その場所を思えば、いつもチクっと心が痛い。

目黒のばあちゃんの家ーー

そこに裏山でうずくまる私が、今もいるような気がします。

ここも、行きたかった場所。同級生が連れて行ってくれました。梁川の愛宕さま。お祭りのとき、赤飯が振る舞われます。一人で行った、山の鎮守。
ここも、行きたかった場所。同級生が連れて行ってくれました。梁川の愛宕さま。お祭りのとき、赤飯が振る舞われます。一人で行った、山の鎮守。

 

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黒川祥子

黒川祥子

東京女子大学史学科卒業。弁護士秘書、業界紙記者を経てフリーに。
主に家族や子どもの問題を中心に、取 材・執筆活動を行う。
2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待~その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞受賞。
他の著作に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英 社)、橘由歩の筆名で『身内の犯行』(新潮社)ほか。
息子2人をもつシングルマザー。

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